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やっぱり、玉の海は凄かったのです

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    先日、蒙御免さんの玉の海の記事にコメントしたからでしょうか、玉の海の記事をまたも書きたくなりました。一年ぶりになりますね。

    コメントで、双葉山はリアルタイムで見てないのでアレですが、大鵬・玉の海・白鵬は特別に強い横綱だったと書きましたが、実際のところ北の湖・千代の富士・貴乃花・朝青龍を見てきた大相撲ファンには伝わっていないだろうと思います。

    数字で表すのが早いでしょう。
    死の直前の場所は、場所中に虫垂炎を発症していて、12勝3敗に終わってますので、この場所を除く6場所の成績。

    昭和45年秋場所:14勝1敗で優勝
            黒星:横綱北の富士
        九州場所:14勝1敗で優勝
            黒星:横綱大鵬
    昭和46年初場所:14勝1敗優勝同点
            黒星:横綱大鵬
         春場所:14勝1敗で優勝
            黒星:大関前の山
         夏場所:13勝2敗
            黒星:横綱北の富士・大関清国
       名古屋場所:15戦全勝優勝

    驚くのは、関脇以下に一度も負けていないことです。6場所を通した中で、これは誰も出来ていない記録でしょう。

    王者大鵬もライバル北の富士も、本当に強い横綱でした。大関も清国・前の山に琴桜・大麒麟がいました。最強関脇の長谷川がいて、貴ノ花や大関キラー三重ノ海が新関脇として登場してきた頃です。

    北の湖の年間最多勝・千代の富士の連勝記録・朝青龍の7連覇や最多勝・白鵬の連勝記録に最多勝更新等、ライバル不在の中での記録だけに、ついつい玉の海のことを書きたくなってしまいます。

    本来右四つでしたが左四つでも遜色なく、とにかくその四つが本当に絵に描いたように美しかったものです。あんな美しいがっぷり四つを、40年以上経った今でも見ることが出来ません。胸の合わせ方が天下一品でした。

    しかしその玉の海と互角、稽古場でも「俺は合口が良かったね。俺の左は堅かったから」という北の富士も凄かった。最近は謙遜する言葉が目立ちますけどね。

    北・玉のような相撲を、もう一度見たいと、ずっと思ってます。

    では、良いお年を。


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    あの日から40年、そして今の大相撲は

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      昨日10月11日は、横綱玉の海の命日でした。
      あれから、40年の歳月が過ぎたわけです。

      玉の海については、昭和の力士では北の富士とともに、単独でカテゴリー
      を作っているように、かなり書き込んできました。

      40年という区切りの時に、今さら何を書こうかという感じではあります。

      40年前というと大阪万博の翌年、日本経済が一つのピークを迎えていた
      ように、様々な業界がピークだったように思います。

      プロ野球は長嶋・王の9巨人、長嶋がぶっちぎりで首位打者。
      プロボクシングには5人の日本人世界王者、あの大場政夫もいました。

      馬場と猪木が、同じプロレス団体にいた最後の年でもあります。
      キックの鬼、沢村忠も健在でした。

      いろいろな業界が発展し衰退し、変化を余儀なくされました。個人的には、
      衰退を止めるための変化は、逆効果だったことの方が多かったと思います。

      大相撲は・・・。

      玉の海は横綱としては小柄で、力が強いわけでもなく、立合いの速さも無く
      前さばきも下手で脇が甘い、そういう力士でした。それでも・・・。

      戦後60余年、多くの横綱が生まれ、名横綱と呼ばれた力士もいます。
      しかし、本格派横綱と形容されたのは、玉の海だけでした。

      “美しい相撲”を取りました。

      あれから40年です・・・。


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      玉の海の「腰で吊る」吊り出しの画像です

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        大相撲秋場所も明日が初日ですが、今日は久し振りに昭和の大相撲。
        今まで、横綱玉の海の記事をいろいろなカテゴリーで書いていましたが、
        「玉の海の特集記事」という名前でカテゴリーを加えました。

        昭和の大相撲をテーマにブログを始めるに当たって、玉の海の存在は
        非常に大きなものでした。記事は大体がブログ開始の頃のものですので、
        整理しておかないと、それこそタンスの隅に追いやられる状態になって
        しまうと感じ、カテゴリーを新たにしました。

        当時、私タイヘイはもう一方の雄、横綱北の富士のファンであり、
        地味な業師だった二子岳を応援しておりました。しかし年を経る
        ほどに、玉の海の相撲がいかに稀有なものだったかを感じます。



        写真は玉の海が琴桜を吊り出しているものです。
        琴桜は玉の海よりも3歳年長ですが、玉の海の死後、横綱になって
        いますので、この写真は横綱玉の海ー大関琴桜です。

        177センチ・134キロの玉の海に対して、182センチ・150キロ
        の琴桜が見事の吊り出されています。琴桜も剛力で太鼓腹を利した豪快な
        吊りを得意としましたが、玉の海との吊り合いでは分はありませんでした。

        写真で注目して欲しいところ、玉の海の吊りは「腰で吊る」と形容され
        ましたが、琴桜の足が上へではなく、前方に吊られているところです。

        腕力と背筋力で抜き上げるような吊りは豪快ではありますが、吊られた
        足が宙をバタバタする状態、言い換えれば決まり手としての美しさでは
        「腰で吊る」吊り出しに軍配が上がります。

        ちなみに写真は両差しですが、むしろこれは珍しい方で、がっぷり四つ
        からの吊り出しがほとんどでした。本当は、がっぷり四つからの方が
        玉の海の腰の強靭さと柔らかさが伝わるのですが・・・。

        玉の海は右四つの完成された型が有名ですが、左四つでも遜色なく、
        特に胸の合わせ方の巧さは天下一品で、重心の低さもあって、がっぷり
        に組んだだけで、相手の体の重心は少し浮いていました。

        双葉山の相撲は、かなり近い形で白鵬が具現していると思います。
        玉の海の相撲も、いつか具現されるのでしょうか・・・。


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        久々に北の富士と玉の海(当時玉乃島)のお話

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          懐かしい写真ですね。
          昭和45年初場所、北の富士と玉の海(当時玉乃島)が横綱同時昇進を
          決めた場所です。右が本割で、左が優勝決定戦です。

          優勝決定戦では速攻の北の富士が外掛けを決め、優勝を果たします。
          本割は玉の海の吊り出しと、両者の個性が出ています。

          私は華やかな相撲を取った北の富士のファンでしたが、玉の海の吊りの
          写真はやはり凄いですね。

          腰で吊っているので、北の富士の足が中空でバタついています。これが
          腕力での吊りならば、吊られた方の足はダランとします。腰で吊ることが
          出来た数少ない力士です。

          盲腸の再発のため生前最後の場所は12勝3敗でしたが、その前場所から
          連続6場所で84勝6敗という抜群の成績。この数字ながらライバル不在の
          独走時代でのものでないのも凄い。

          昭和45年から昭和46年にかけての成績ですが、この2年間の最多優勝
          力士はどちらの年も3回で北の富士でした。大横綱大鵬も引退間際の輝き
          を見せていました。その激戦の中での84勝。

          玉の海というライバルの存在で北の富士も輝き、ピッカピカの華やかな
          横綱振りでしたね。39年前のお話でございました。

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          あの力士この技〜究極の吊り出し玉の海、将来の使い手は?

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            3日連続で吊り出しがテーマです、一応完結編ということで。

            昭和40年代の横綱玉の海に関しては、もう何回も書いていますが、
            改めて・・・。

            吊り寄りという言葉がありますが、玉の海の場合は寄り吊りでした。
            相手の腰を引き付けながら吊るため、寄りが先というふうに見る者の
            目に映りました。

            1場所で、だいたい6番前後は吊りで決めていました。
            玉の海の吊りは、腰と腰が密着するように引き付けるため、相手の腰
            は伸び切って、体は反り返ってしまいます。

            この体勢になると、土俵から1センチでも足が上がれば反撃不能の状態
            となります。密着した腰を支点にして、相手の体は反り返っているので、
            両脚は宙を駆けるように吊り出されました。

            表現がヘタなのでアレですが、先場所朝青龍に吊られた白鵬の体勢は、
            これの真逆でした。

            以前吊り出しの名手として、あの力士・この技〜明武谷を書きました。
            189センチ・113キロのゼイ肉の無いブロンズ像のような筋肉質、
            高見山登場前の最長身力士でした。

            腰が重かったあの大鵬を、ゴボウ抜きに抜き上げる豪快な吊りを見せた
            優勝決定戦出場2回の実力者。朝青龍の吊りはこの明武谷に似ています。

            大相撲トーナメントでの朝青龍に、みのもんたが「まるで起重機のようだねえ」
            とコメントしていましたが、"起重機" は明武谷と同タイプの吊りの双璧
            (時代は違いますが)、肥州山の呼び名でした。

            現在の朝青龍は長身・筋肉質力士型の吊りです。これは把瑠都に任せて
            もらいたいところです。

            もちろん腕力や突き押しなど、朝青龍は玉の海より優っていますし、
            どっちが強いかなんて話じゃありません。

            ただ、かつて玉の海に体型・体質が似てると思った朝青龍が先場所と
            大相撲トーナメントで吊りを見せたことは、淡白な相撲がいまだに多い
            大相撲の土俵に、"吊り出しの復活" を予感させました。

            春場所は豪栄道・土佐豊の吊り出しにも期待します。

            ということで "連続3日吊り出し噺" 完結編でした。

            北の富士と81人の力士〜北の富士ー玉の海

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              先場所、最も拍手が多かった取組を上げるとすれば、垣添ー嘉風と
              白露山ー若ノ鵬の二番でしょう。

              記憶にも新しいですが、垣添が嘉風を先に土俵に上げた場面、若ノ鵬
              が白露山に手を貸した場面で大きな拍手が沸きました。

              垣添は嘉風の大学の先輩で同郷、白露山と若ノ鵬もレスリングを通し
              て旧知の仲です。自然と出た行動だったのでしょう。

              北の富士と玉の海も「北さん」「島ちゃん」と呼び合う親友だったことは
              知られていますが、当時の相撲を改めて見てみると、勝負がついた後、
              最近の土俵では見られない仕草が随所に現れています。

              両者が土俵下に落ちたときは、先に立ち上がった方が相手の背中を
              押すようにして先に土俵に上げたり、敗れた相手に手を貸して起こす
              という、垣添や若ノ鵬が見せたのと同様のことは見られます。

              最も印象的なのは、がっぷり四つの大相撲になったとき、たいがいの
              場合は寄り切りか吊り出しで勝負は決まりましたが、東西に分かれる
              前に北・玉は視線を合わせることがよくありました。

              さらに目と目が合った状態で、お互いにうなずき合うように、頭を
              わずかに動かす仕草をしています。それが、どちらからとも無く自然
              に交わせれていました。死力を尽くした大相撲のときは、ほとんどの
              相撲で見られました。

              初対決の昭和39年夏場所では、北の富士充分の左四つで上手も引いた
              体勢から、玉の海(当時玉乃島)は不充分の左四つの左下手一本で、右は
              北の富士の左を抱えたままの、驚くほど強引な吊り出しで勝っています。

              確か玉の海は当時100キロ無かったと思いますが、勝ち方も強引
              ですが、乱暴に北の富士を土俵外に放り出し、意気揚々と引き上げる
              姿は血気盛んな若武者という感じでした。

              その後約8年の間続いた両者の対戦が、ライバルと意識するほどに
              勝負が決まった後の仕草が変化していったようです。

              両者の幕内対戦成績は優勝決定戦も含め、北の富士の23勝21敗。
              その44回の取組で、変化で勝負が決まった取組は、もちろん一番も
              ありませんでした。

              双葉山の再来と呼ばれて

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                時津風部屋を語るとき、不世出の大横綱双葉山が開いた双葉山道場から
                の伝統を受け継ぐ大相撲屈指の名門部屋ということで、テレビでも紹介
                されています。

                しかし最近は神格化され、例えば朝青龍が優勝回数が20回目に達し、
                過去の大横綱との実力比較ということでも、大鵬以降の名前が出るのが
                一般的です。年6場所制以降という言い回しが多くなっています。

                大鵬の現役当時は、当然双葉山との実力を比較されていました。
                年2場所と6場所の違いはあるものの、やはり大鵬も双葉山には及ばない、
                双葉山の強さには並ぶ者なしと言われました。

                その双葉山にもっとも近づき、再来とまで呼ばれたのが、36年前の
                今日亡くなった玉の海でした。

                確かに多くの共通点がありました。
                どんな相手にも正面から受けて立ち、組み止めれば敵無し。また重心の
                低い、柔らかい足腰による四つ身の美しさ。

                100キロ前後の軽量で入幕するが、頭をつけるようなことは一切せず、
                双葉山は「打っ棄り双葉」と呼ばれるように、受ける相撲を取り、また
                玉の海も下手廻しだけで、上手は取れず抱えたままで振り回して、吊り
                出すという大きな相撲を取っていました。

                二人ともに勝つために相撲を変えるということはなく、肉体的な充実に
                より番付を上げ、25歳で横綱昇進を決めたのも共通していました。

                双葉山は相撲道に精進したと形容されますが、相撲に対するひたむきさ
                と明朗ながら謙虚な人柄も玉の海が双葉山に模された理由でした。

                双葉山の横綱在位は8年。
                玉の海は横綱在位10場所に終わり、この点がもっとも大きな相違点と
                なってしまいました。

                双葉山は最強の力士であるだけではなく、絶後の力士ではないかとさえ
                いわれました。絶後といわれただけに、人は玉の海を双葉山の再来と
                期待したのでしょう。

                そして双葉山を生で知らない私は、玉の海の再来を待っているのです。


                横綱、玉の海 正洋  生年月日  昭和19年  2月 5日
                              没年月日  昭和46年 10月11日                    優勝6回  横綱在位10場所              

                実現しなかった、もうひとつの北玉対決

                0
                  北玉時代を収めたDVDの中で北の富士は、玉の海が存命だったら
                  北玉時代から玉の海時代になっていただろうとコメントしています。

                  たしかに北の富士より2歳若かった玉の海の、当時の充実振りから
                  判断すれば納得できるものです。27歳の年齢に、あと5年の活躍
                  を見込めば、優勝回数は20回を超えていたでしょう。

                  北玉時代の次にやって来たのは輪湖時代です。

                  輪島は1度だけ玉の海と対戦しましたが、北の湖は間に合いません
                  でした。北の湖が21歳で横綱に昇進した昭和49年秋、玉の海が
                  生きていれば30歳です。

                  北の湖は若い頃は、まさに馬力任せの攻撃相撲、左四つ上手を取って
                  一気の寄りが身上でした。対する玉の海は右四つの型ですが、左四つ
                  でもまったく遜色なく、廻しさえ引けば磐石、守りの腰の強さと柔らかさ
                  は群を抜いていました。

                  玉の海が177センチの134キロ、北の湖179センチの150キロ
                  (横綱昇進当時)。両者相対すれば、左四つがっぷりで胸を合わせた
                  大相撲になっていたでしょう。

                  北の湖が廻しを引き付けて抜き上げるような吊りを見せれば、対する
                  玉の海は柔らかい腰にふわりと乗せるような吊りが得意手。共通する
                  のは、ともにスタミナが抜群で長い相撲を厭わないところです。

                  そして、ともに腰で相撲を取ると形容された大横綱。
                  大相撲史に残る熱戦が展開されたでしょう。

                  昭和49年から3〜4年は、輪島を含めて激しい世代闘争が予想され
                  ます。当初はまだまだ玉の海に分があったと思われ、昭和49年に
                  北の湖がつくった横綱昇進の最年少記録は多少ずれていたでしょう。

                  大鵬の横綱昇進年少記録の更新は微妙だったかもしれません。


                  もし玉の海対北の湖が実現していれば、のお話でした。

                  明日、10月11日が玉の海の命日です。

                  あの日から36年〜永遠の最強横綱、玉の海

                  0
                    昭和46年10月11日、NHKの夜7時のニュースで玉の海に死が報
                    じられたときの、白黒テレビに映し出された玉の海の不知火型土俵入り
                    の写真、その画像は未だに目に焼き付いています。

                    横綱在位10場所、27歳での突然のピリオドでした。
                    その死の直前の7場所に玉の海が見せた相撲は、大相撲の美しさを具現
                    したといえるものでした。

                    がっぷりに廻しを引き合った、その四つ身の美しさ。
                    そして何よりも美しかったのは吊り出すときの美しさです。

                    身長177センチの玉の海が、身長192センチの巨漢の高見山を、
                    それこそ目よりも高く吊り上げ、本当に高見山のバタつく両足が玉の海
                    の顔の位置あたりにありました。

                    かいな力がある方ではなく、足腰の強靭さと柔らかさの相撲でした。

                    6場所制以降のここ50年の大横綱を語るとき、名前が上がる一つの
                    基準が優勝20回以上みたいなところがあります。
                    大鵬・北の湖・千代の富士・貴乃花・朝青龍で一番強かったのは・・。

                    盲腸炎を再発させた最終場所をのぞく、最後の6場所で玉の海は84勝
                    6敗です。ライバル北の富士に4勝2敗、大鵬に2勝2敗、大関清国と
                    大関前の山に1敗ずつ、関脇以下には一つの取りこぼしもしていません。

                    驚異的な安定感と、それを象徴する磐石の四つ相撲。
                    これだけの成績で優勝は6場所中4回、大鵬と北の富士も充実していた
                    からです。その中での84勝でした。

                    その全盛期においての実力を比較すれば、前述の5人に引けをとらない
                    ことは間違いないでしょう。優勝回数6回の生涯成績だけでは語れない
                    偉大な横綱でした。

                    朝青龍と横綱玉の海

                    0
                      朝青龍を最初に見たとき、玉の海に少し似た体型をしていると思いました。
                      大横綱への道半ば、27歳の若さで夭折した玉の海。その美しいまでの
                      本格派四つ相撲を、朝青龍が見せてくれるのでは、と期待したものです。

                      朝青龍は持ち前の運動神経を生かした、朝青龍独特の相撲を確立しました。
                      しかし、玉の海ほどの足腰の柔らかさ、粘り強さは朝青龍にはありません
                      でした。玉の海が身長で15センチ、体重で50キロ上回る巨漢の高見山
                      をまさに目よりも高く吊り上げたシーン、その美しさは私の45年ほどの
                      大相撲観戦の中でも最高のハイライトのひとつです。

                      相撲の美しさの極致とでも言えそうな玉の海の吊り出しと対照的な、過剰
                      なまでの闘志を見せ付けられる朝青龍の吊り落とし。
                      似ていると感じたのも、はるか昔のことに思えます。

                      そして今、毎週火曜日に配信しているメールマガジン「天下泰平記」で
                      横綱の品格と題して原稿を書いてますが、横綱の責任感の部分で朝青龍と
                      玉の海を再度、比較する内容になってしまいました。

                      何事も ”昔は良かった”とは言いません。
                      しかし守られるべき大相撲の大切なもののひとつは ”相撲の美しさ”だ
                      と思われる今日この頃です。

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