まぐまぐの大相撲コラム「天下泰平記」、本日配信しました。

以下、その本文です。


八百長問題に関する力士の処分が決まりました。
これについては、協会の判断の重さを鑑み、ここで何かを書こう
という気はありません。八百長問題で感じたことだけ、書きます。

今50歳になる私、約47年間ほど大相撲を観戦してきましたが、
その中で、数多くの大きな感動を与えてもらったこともあれば、
逆に相撲内容に落胆し批判することもあり、メールマガジンや
ブログを始めたのも、昨今感動の場面よりも批判する場面が
増えてきたためだという気がします。

現状の大相撲に対して諸手を上げて賞賛していたわけではなく、
不満に感じる部分も持っていたわけです。淡白な内容の無気力
相撲と映るものが、鍛錬不足なのか八百長相撲なのか、どちら
にしても憂いを持って見る場面が、しばしばありました。

その反面、いくら過去に遡って仮に八百長相撲が存在していた
としても、自分が感動した場面は自信を持って素晴らしかったと
言えますし、それは全く揺るぎの無いものです。自分の、大相撲
に対する感性を信じます。

さて今回の八百長問題でしばしば語られていることに、大相撲
はスポーツの面と興行の面と神事の面がある、という文脈が
ありますが、あまり気持ちの良いものではありません。「相撲
協会がどの面を重視するのか、決めてほしい」なんて意見を
読むと不快に感じます。

この三つの面の割合がどうとか、そんなものは数字で計れる
ものではありません。ただ誤解の可能性もあることを自覚して
申し上げるとすると、私個人は、大相撲におけるその割合は
興行に重きを置くものだと思います。

以前「淡白な相撲が多すぎる。大相撲はまず第一に興行なのだ」
という記事を書いた時に、確か私より少し年配の女性ファンの方
だったと思いますが「力士たちは勝つために、一生懸命稽古をして
いるのです」とのメールをいただいたことがあります。

もちろんその通りで、その一生懸命な姿に私達は感動します。
感動の無い土俵は見たくない、という意味で「興行に重きを」と
言いたいのです。確かに「興行」という言葉には、誤解を生じ
させる強さがありますね。

また、「勝つために一生懸命」と「勝つことにこだわる」というのも
言葉にすると実に似ていて、でも両者には大きな違いがあるの
ですが・・・、結局はやはり見る側の感性で、両者の違いを見分
けるということでしょう。

そして、スポーツ・興行・神事の割合云々は、それこそ大相撲
ファン一人一人の感性で見て良いと思います。

少し話は違うかもしれませんが、爆笑問題の太田光が尊敬する
映画監督に会って、自分が感動した映画の場面について「この
場面は、こういう意味ですよね」と質問すると、その監督は「君は
間違っている。そういう意味ではない」と答えたそうです。

すると太田光は「あなたこそ間違っている。私が感動したことに
トヤカク言われる筋合いは無い」と返したそうです。その感じ方
の違いの中に感動が生まれ、その幅が大きいほど作品に力が
ある、と彼は書いています。

大相撲も、そんな幅の広い、懐の深いものではないでしょうか。

今回八百長という、かつて無い暗い影が大相撲を覆いました。
しかし、すべての大相撲ファンは、今までそれぞれの場面で
感動してきたわけで、その感性を信じましょう。

私はそう思います。


以上が「天下泰平記」です。

我ながら、分かりにくい文章だなあと呆れますが、大相撲八百長
問題への思いがファンの一人として複雑な部分があって、変な
文章になったのかもしれません。

とりあえず、私が今思うこと・・・です。


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大相撲の長い歴史において最大の試練がやってきた、
と言っても過言ではないでしょう。

このブログを始めたきっかけも、昭和の、あの感動的
だった土俵の復活を願ってのものでした。

淡白な展開の相撲が増えている、その危機感と
今回の八百長問題はつながっています。

かつては大名のお抱えとして存在していた力士を
プロの集団にするために尽力した、明治の「角聖」
常陸山。

大相撲を「国技」と定義した流れは、そのプロセスの中
で生まれています。

大相撲の国技うんぬんに関して、とやかく言う輩が
いますが、先人達が努力を重ねた結果であることに
間違いはありません。

春秋園事件の危機の中、その大幅な番付変更により
入幕した双葉山は、土俵上の所作から相撲内容まで
すべてにおいて「大相撲の美しさ」を体現しました。

戦後の混乱の時代、「大相撲を終らせてはいけない」
という強い思いの中から、栃錦・若乃花を中心に激しい
土俵が展開されました。

プロの集団として、観客を意識しているからこそ
勝ち負け以上に、鍛え上げた技量を土俵上で見せ
ようと努力し、そこに感動が生まれたのです。

「勝つことがすべてではない、その中で勝利を目指す」
からこそ、私たちは熱狂しました。

確かに昨今の土俵で淡白な相撲、突っ張り合って
いても何時叩くかな、引くかなと予想してしまい、
叩かれた方はあっさり転がってしまう、そんな相撲が
多過ぎなのです。

小さくても鍛え上げられた力士の相撲には、八百長を
疑う余地などありません。

先人達が、大相撲で食べていくために作り上げたもの
が、「勝つことがすべてではない」という概念だとすれば
「勝つことがすべてだ」とする八百長事件によって窮地に
追い込まれることは、極めて悲しいことです。

一言申し上げるなら、八百長問題全容解明なくして、
かつての感動の土俵の復活は不可能だと、改めて
思います。

放駒理事長、と呼ぶより魁傑。あの旭國との10分を
超えた大死闘。あの大相撲を制した魁傑だからこそ
大相撲の復興を期待します。

あの大死闘も、33年前の、やはり春でしたね。

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大相撲の八百長問題で、もう一つだけ触れておこうと思います。
それは週刊現代の記事を書いた、武田頼政というライターに関してです。

平成14年秋場所、7場所連続全休から出場した、貴乃花最後の皆勤場所
と言えば、大相撲ファンなら誰でも印象に残っているでしょう。

この場所後の記事を武田氏も書いています。それは花田憲子さんとの電話
の話、貴乃花の復活を確信し興奮している花田憲子さんの様子を伝えた文章
からの書き出しでした。

記事の内容は、出場を勧告する強硬派と貴乃花擁護派で揺れる横綱審議
委員会をよそに、貴乃花は息を呑むほどに強く、去就うんぬんの騒動が馬鹿
馬鹿しく思えた、というものです。

このときの横綱審議委員会は引退勧告も辞さず、12勝をすることが現役
続行の条件だ、などと権威的に振舞っていました。

それが序盤で2敗すると慌てふためき、今場所は勝ち越せば良しとしよう、
などとコメントを出す始末。12勝3敗で貴乃花が場所を終えると大絶賛。
確かに恥ずかしいものでした。

しかしこの場所の貴乃花を、息を呑むほどの強さと表現するのは、きちんと
相撲を見ていたとは感じられません。

貴乃花は12勝2敗で、武蔵丸との千秋楽決戦にまで持ち込みましたが、
全盛期の貴乃花には程遠い相撲でした。

それ以上に気になったのは、場所を通して貴乃花の表情が悲しげだった
ことです。特に仕切り直しで相手を見つめるとき、何故か眩しそうな顔を
して、相手というより、どこか遠くを見つめているようでした。

あの眩しそうな顔は、何かを悟ってしまったという印象で、大相撲ファン
がこの場所の貴乃花を復活だと、手放しで喜んではいなかったと思います。

ただ花田憲子さんと個人的に、かなり親しいのは文章から分かりました。

ここ数年、スポーツ選手と個人的に親しいライターが増えたなというのは
感じます。スポーツ選手の本音トークみたいなヤツです。

一般人なら「〜〜みたいな人」とイメージで語られるよりも、自分を知って
ほしいのは当然で、だからブログも書きます。

スターでも語りたいのでしょうが、見る側はスターのイメージをもっと
膨らませてほしいし、それをするのがライターの仕事です。

「江夏の21球」を書いた故山際淳司氏も、多くの選手から話を聞いて
いましたが、当然「21球」に関することだけ。そして見事に「21球」の
イメージを最大級に引き出しました。

取材対象と飯でも食って、普段聞けないような話で文章を作るだけなら
スポーツジャーナリズムも底の浅いものになりそうですね。

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大相撲の八百長問題に、あの貴乃花ー若乃花の兄弟対決の優勝決定戦も
取り上げた週刊誌もあるのを知りました。妙な話です。

大相撲ファンとして、あの一番で貴乃花が力を出し切ったかと問われれば、
出し切っていない、と答えます。しかしこれが八百長と結び付けられるのは
如何なものでしょう。

例を上げるとすれば、小泉元首相の名言「感動した」で記憶に留められる
貴乃花と武蔵丸の優勝決定戦。歩くことも困難な貴乃花の、鬼気迫る勝利。

このとき本割で貴乃花と対戦した武蔵丸は、貴乃花が相撲を取れる状態では
ない、無理して土俵に上がれば、どんな事態が起こる危険性があるか、当然判断していたと思われます。

その状況での相撲でした。武蔵丸は必ず元気になった貴乃花を倒して優勝
しないことには、その無念を晴らせないという心情だったと思います。

貴乃花最後の皆勤場所で、千秋楽に優勝を賭けた相星決戦を制した武蔵丸は
「一番うれしい優勝」と語りました。

       〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

「勝つことが総てではない、その土俵の中で勝つことを目指す」というのが
大相撲だとすると、その精神状態は極限のものです。

千代の富士ー北勝海にしてもそうでしたが、兄弟弟子相手にその精神状態
に持っていくのは覚悟のいることで、千代の富士も「2度と闘いたくない」と
述懐しています。

若貴対決にしても、そういう心情面と八百長があっさり混同されるマスコミ
には、???がつきます。

心情面といえば35年前の秋、9年連続日本一の天下の読売巨人軍、その
9連覇が懸かった試合がありました。

中日ー阪神、この試合で阪神が勝てば優勝、負ければ巨人ー阪神での最終戦
決戦という大事な試合。

中日は巨人大嫌いの星野仙一の登板、半端じゃない恨み方です。相手は
親友田淵幸一の阪神。

この試合で星野は、ほとんどド真ん中のストレートばかりを投げました。
緊張した阪神はまったく打てず、星野は勝ってしまいます。

当たり前ですが、これは敗退行為ではありません。ただ勝負と心情、そして
精神状態は大きく左右する関係にあるわけです。

貴乃花ー若乃花の八百長問題の話も、すぐに消えるでしょうけど。


いよいよ九州場所が近づきました。地元九州出身の魁皇関と千代大海関が、
健闘を誓い合っていますね。

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相撲コラム「天下泰平記」配信しました。
今週は場所後のシリーズにしている、プレイバック大相撲(秋場所なら
秋場所をプレイバック)です。

今回は昭和43年の秋場所、大鵬絶体絶命のピンチの場所を振り返り
ました。

1勝3敗11休・全休・全休・全休と、直前4場所の合計で1勝しかして
いなかった大鵬の、進退が懸かった場所でした。

その初日に栃東にアッという間に負けてしまった大鵬、最悪のスタートで
引退の2文字が現実的なものになりました。

翌日から始まる45連勝など、このとき大相撲ファンは予想だに出来な
かったでしょう。

朝青龍の今と、つい重ね合わせてしまいます。

若ノ鵬の八百長発言は、魁皇・千代大海にまで及びました。アキレますね。
若ノ鵬に大関が八百長など、相撲を見れる人が見れば、考えるまでのことも
無いでしょう。

相撲を知らない人が書く雑誌、それを取り上げるのも相撲を知らない人が
作るテレビ番組、ただそれだけのことです。

若ノ鵬は以前、「若ノ鵬と栃ノ心を闘わせれば」というブログを書いて、
当時は期待していたのですが・・・。

しかしこのときも書いてますが、夏場所は誉められたものではない相撲
内容で、よく勝ち越したなと正直、感じました。むしろ負け越した方が良い
薬になるとさえ思いました。

力士としては、本当にまだまだでした。逆に言えば、潜在能力は大した
ものがありました・・・残念ですね。

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