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放駒理事長退任、そして引退する魁傑の33年前の名言を思い出す

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    大相撲では、協会の理事選挙の立候補者が出揃ったようです。放駒理事長が退任します。

    八百長問題と、長年の懸案だった年寄名跡問題の真っ只中を仕切った理事長として、大相撲史にその名を残すことになりました。

    さて今日は久々に “大相撲名言集” のカテゴリーでの記事です。33年前、放駒の魁傑の言葉から。

    魁傑の特集記事は3年ほど前 “昭和の名横綱・名大関”の中の “女性ファン一番人気は魁傑” の記事で充分に書いておりますが・・。豊真将に雰囲気が似ていたなど。

    旭国との、世紀の水入りの話は触れなかったですね。NHKの中継が20分、延長されたこともありました。

    それでは、魁傑の名言。

    現役時代から「力士である前に立派な社会人でありたい」と語っていた魁傑。その現役引退の言葉です。

    「私は、チョンマゲをつけているから魁傑ということで、皆から立てられています。しかし私は土俵の外では30歳の、西森というただの青二才です。それを忘れてはならないと思います」

    現役時の真摯な土俵態度は、優しさや謙虚さも同時に感じさせましたが、審判委員になってからの厳しさといったら無かったですね。恐さがありました。

    そして横綱大ノ国を育て、理事長としてもその厳しさを貫き通しました。

    まさに、その言葉通りの土俵人生でした。

    魁傑、力士の中の力士・・・今、花道を下がります。

    お疲れさまでした。そして、ありがとう。

    ・・・何か、定年みたいな感じの記事になりましたが、それは1年先ですね。


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    大相撲名言集、佐田の山の「あれほどの気性は持ってないですもんねえ〜」

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      第49代横綱栃ノ海、177センチ・110キロ。昭和39年春場所
      に横綱昇進。

      第50代横綱佐田の山、182センチ・129キロ。昭和40年春場所
      に横綱昇進。

      時代が違うとはいえ当時は柏鵬時代全盛、大鵬は187センチ、柏戸は
      188センチ、やはり横綱としては大きくはありません。

      年齢は1ヶ月も変わらない栃ノ海と佐田の山。入幕は栃ノ海が5場所早く、
      大関は佐田の山が1場所早く、横綱は栃ノ海が6場所早いというライバル。

      出羽海部屋の佐田の山と春日野部屋の栃ノ海は、一門で新弟子の頃からの
      稽古相手。真面目一筋の先輩栃光と一緒に、申し合いを始めると、親方から
      ストップがかかるまで続いたと言われています。

      佐田の山は理事長時代も極め付けの頑固者といった風貌でしたが、現役
      当時は本当に恐い顔をしていました。小さな体で、柏戸を上回る6回の優勝
      を記録、まさに闘魂の横綱でした。

      栃ノ海は相撲の巧さは栃錦を上回るとさえ呼ばれた技巧派、童顔で目は
      パッチリ、いつも相手を睨んでいるように見える佐田の山とは、対照的な
      印象だった、と5〜6歳の頃の私は感じました。

      その佐田の山が、栃ノ海との長年の稽古を振り返った言葉が
      「あれほどの気性は、私は持ってないですもんねえ」

      申し合いで負けると、「クソ〜」「この野郎」と凄い剣幕で向かってくる、
      闘魂佐田の山をも怯ませた気性の激しさが栃ノ海、栃光を含めた、その
      激しい稽古の中から2人の横綱は生まれました。

      昭和40年初場所の部屋別総当り制の実施により、横綱栃ノ海ー大関
      佐田の山の対戦が実現、佐田の山が勝ち、この場所も優勝。場所後に
      横綱に昇進します。

      この一番、アナウンサーの「友情を感じさせる、爽やかな勝負」といった
      コメントを聞くと、部屋別総当り制導入当時の一門の存在感を改めて感じ
      させます。

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      大相撲名言集、若浪の「呼吸を抜いたなあと分かる」

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        ここ数場所で強烈な印象を残した一番を1つ上げろと言われれば、夏場所の
        安馬ー若ノ鵬、やぐら投げ風の打っ棄りですね。

        足腰を徹底的に鍛え上げた者同士が、その体の重心に廻しを巻いて、お互い
        の重心を崩し合う、そこから生まれる決まり手の美しさが大相撲の醍醐味と
        思います。

        強靭な足腰で相手の重心を崩したとき、もっとも美しいと感じるのは、その
        力士の体が宙を舞っているときでしょう。その点で言えば、やはり吊り出し
        と打っ棄りが美しい決まり手の双璧です。

        打っ棄りの史上最高の使い手は誰かと問われれば、昭和30年代後半以前を
        知らない私でも、躊躇なく「若浪」と答えるでしょう。

        若浪の打っ棄りは、本当に相手力士が無重力状態のように浮き上がってい
        ました。その極意について若浪は「相手が呼吸を抜いたなあと自然に分かる。
        すると相手は軽くなる」と語っています。

        178センチ・103キロの体は、体脂肪率が極めて低そうでした。
        抜群の足腰の柔らかさで粘りが凄かったうえ、背筋力の強さも屈指のもの
        があり、さらに胴長短足で重心が低いといった具合。

        打っ棄りの必要充分条件を持ち合わせていた若浪でしたが、その極意を
        語った後、「稽古を重ねる中で、そういうタイミングが分かってきた」と
        続けています。

        その打っ棄りには、まさしく夢がありました。昭和40年代、小学生だった
        私には、小さな若浪を軸にして大きな力士が宙を舞う姿は、神業としか見え
        ませんでした。

        横に打っ棄るときは、相手は空気投げのように自分から土俵下に落ちると
        いった風でした。後側へブリッジのように反って打っ棄るときは、相手は見事
        に裏返しとなりました。

        幼稚園児のときに始めて見てから、小学生だった私に夢のような光景を
        見せてくれ続けた若浪は、昭和47年春場所に引退します。私の小学生
        最後の年でした。

        昭和43年春場所、若浪は平幕優勝を果たします。大関豊山、小結麒麟児
        (後の大麒麟)とともに12勝2敗で千秋楽を迎えた若浪は、前夜は緊張して
        「台所で一升瓶をラッパ飲みした」とも語っています。

        酒豪の豪傑でありながら照れ屋だった若浪の、これも1つの名言と言える
        でしょう。

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        大相撲名言集、富士桜「出来れば死ぬまで、相撲を取っていたい」

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          元関脇富士桜の中村親方、現役時代は "突貫小僧" と呼ばれた、突き押し
          のスペシャリストでした。

          178センチ・141センチ、アンコ型でしたが、固太りで派手な突っ張りを
          得意としていました。

          突っ張りの回転の速さは、後の寺尾と双璧です。
          しかし "廻しを引かれたら三段目"、突き押ししか無いという点からいけば、
          富士桜の印象は強烈です。

          昭和46年秋場所に入幕してから、昭和50年代の輪湖・貴ノ花の時代を
          大きく沸かせました。

          語り草の昭和50年夏場所の麒麟児戦、両力士で50発以上の突き押しを
          繰り出した相撲は、いうまでもなく、突き押し相撲の史上最高の"大相撲"と
          言えるでしょう。

          この突き押し相撲の決着が、麒麟児の上手投げだったというのも、いかにも
          死力を尽くした相撲だったと感じます。

          突き押しと四つのバランスが取れた力士が多い最近の土俵、"廻しを引かれ
          たら三段目"というぐらいに、突き押しに徹した力士が現われても良いのです
          が・・・。(北勝力は?となるでしょうが、まったくピンときません)

          富士桜の稽古好きは有名というか屈指のもので、今の高砂親方の朝潮が
          新弟子時代、富士桜と高見山の両兄弟子との稽古に、まったく付いていけ
          ないという記事が、当時のマスコミに頻繁に登場しています。

          朝潮は輪島が綱を張っていた頃の、鳴り物入りの入門だっただけに、横綱
          候補のようにマスコミから扱われていました。

          富士桜と高見山の稽古の激しさと朝潮のダメ振りは、さすが大相撲は違う
          というところを知らしめ、ファンにとってはある意味うれしい話でした。

          その富士桜が引退後に語ったのが「出来れば死ぬまで、相撲を取っていたい」
          という言葉でした。

          そしてその後に「自分は相撲が好きだから」と付け加えています。

          大相撲名言集、鷲羽山の「色んな技が出来る相撲になったね」

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            元関脇鷲羽山の出羽海親方は、59歳になる今も迫力の面構えをして
            います。九州場所担当部長ということで、場所前にはNHK福岡のインタ
            ビューを受けるのですが、その力士らしい武骨な受け答えは、いかにもと
            いう感じです。

            174センチ・109キロの体で関脇を張ったその相撲振りは、全盛期の
            朝青龍にそっくりでした。

            現役時代の相撲を収めたDVDの中で、鷲羽山が自分の相撲を振り返って
            いる場面があります。

            そのときの自身を語る言葉が以下のものでした。
            「押しでもいけるし、肩透かしは出来る、上手投げは出来る、打っ棄りも
             ある、差せば吊りもある、色んな技が出来る相撲になったね」

            自信満々の言葉が、気負うことなく出ていました。そして、
            「毎日の稽古の積み重ねだな」と続けています。

            朝青龍にそっくりと書きましたが、土俵際の強さ、勝負への執念、鬼気迫る
            闘志は朝青龍を上回るものがありました。昭和48年から昭和50年代の土俵
            を盛り上げた代表的存在です。

            何故その小さな体で関脇を張れたのか?、鷲羽山はこう答えています。
            「立合いの突っ込みだねえ。小さいけれど、けたぐりとか、そんな変化を
             しなかったから良かった・・・」

            鷲羽山のDVDを見ていて、特に驚くところがあります。それは立合い
            での鷲羽山と対戦力士の間の空間が、物凄く広いことです。

            "物凄く広い" では伝わらないほど。強いて言えば、今の大相撲とは別の
            格闘技かと思ってしまうほどなのでした。

            大相撲名言集〜北の富士の"底の浅い現代相撲の典型って言われましてねえ"

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              高度経済成長期のピークといえる昭和45年に横綱へ昇進した北の富士は、
              日本の大きな転換期に活躍した横綱です。

              "底の浅い現代相撲の典型" とは、当時の大相撲中継の解説者である玉ノ海
              梅吉に言われた言葉でした。

              横綱らしい磐石の四つ相撲では決して強いとはいえない北の富士は、若手
              の頃から徹底した速攻相撲。出足とともに右上手を探り、出ながらの外掛け、
              残すところを右上手投げ。

              「速攻相撲といっても、柏戸さんのような一直線の力強い相撲ではなく、
               土俵の丸さを巧く使う相撲でした。何と言われようと、自分の相撲に
               自信を持っていました」と、北の富士は語っています。

              攻めの速さや脇の堅さ、相手の上手を切る巧さは抜群でしたが、腰は軽く
              守りの弱さがあった北の富士。美男力士で歌手デビューもしていたところ
              が、"角界の彦左" 玉ノ海さんには軽々しく映ったのでしょう。

              昭和10年代に活躍した関脇玉ノ海は、ゴツゴツとした相撲を取った硬派の
              力士。怪力の右下手を引きつけ、左は相手の手首を掴んで、立ち腰のまま
              寄り切ったり、右下手からの捻りや出し投げを得意としていました。

              26歳の若さで二枚鑑札となり、力を出し切れませんでしたが、実力は
              大関級と呼ばれました。現役当時の写真を見ると、迫力ある筋肉の盛り
              上がりと精悍な表情、特に目の恐さが印象的です。

              濃い眉毛に真四角で太った顔、辛口ながらもユーモアに溢れた語り口は
              昭和40年代の大相撲の名物でした。

              そして当時の2大解説者といえば、玉ノ海さんの弟子でもある神風さん。
              玉ノ海さん以上に辛口の解説でしたが、その歯切れの良い口調で爽やかに
              聞かせました。

              この神風さん、昭和10年代後半から昭和20年代前半にかけて、颯爽と
              した上手投げで人気を博した関脇でしたが、昭和25年に番付を不満として
              突如引退、昭和27年に廃業してしまいます。

              その一筋縄ではいかない頑固さが、解説にも生きていました。辛口で男っ
              ぽい語り口の裏にある、現役引退の逸話がイメージを膨らませました。

              「底の浅い現代相撲の典型だって、玉ノ海さんに言われましてねえ・・・」
              後日述懐している北の富士は懐かしそうな、むしろ嬉しそうな笑みを浮かべ
              ていました。

              大鵬・柏戸・北の富士・玉の海・輪島・・・、テレビ観戦のファンにとっては、
              玉ノ海さんと神風さんの顔も忘れられません。

              辛口解説を浴びていた北の富士も、今や名物解説者です。その北の富士が
              絶賛していた、分かりやすい解説の元琴錦の浅香山親方(最近出番が少ない)
              とストレートな語り口が好感の元寺尾の錣山親方が将来有望です。

              舞の海は・・・辛口解説を今でも浴びる側にいる、解説者として貴重な存在
              です。もちろん好きですけど。

              大相撲名言集〜琴桜の"長谷川なんか、よそに行きよったもんね"

              0
                大相撲名言集という、新コーナーを始めます。
                力士が発した生々しい言葉を取り上げるのも面白いかな、と思いました。

                第1回は大相撲史上に残るぶちかましキング、元横綱琴桜の言葉、
                "長谷川なんか、よそに行きよったもんね" です。

                琴桜は生真面目な性格で、稽古でもまったく力を抜けない力士。その強烈
                なぶちかましを、稽古相手は嫌がっていました。

                一門の横綱大鵬も胸を出しましたが、特別に可愛がっていたのは出羽海部屋
                の横綱佐田の山、一門を超えて積極的に胸を出し、琴桜を鍛えました。

                長谷川がよその部屋に出稽古に行っていたと、後日琴桜は笑い話として
                語っていますが、実は笑い事ではありませんでした。

                昭和34年初場所に18歳で初土俵を踏んだ琴桜よりも、昭和35年春場所
                に15歳で初土俵の長谷川の方が飛び切りの有望力士、当時新興部屋だった
                佐渡ヶ嶽部屋の期待の星でした。

                長谷川は昭和38年初場所に18歳5ヶ月で十両に昇進と順風満帆、しかし
                翌春場所の場所前、琴桜との稽古で左足を骨折します。再び十両に戻るの
                は1年以上経った翌年の夏場所でした。

                琴桜はぶちかましも凄いのですが、稽古相手を稽古場の羽目板まで叩き
                つけるほどに吹っ飛ばしました。それで "長谷川なんか、よそに行きよった"
                となったわけです。

                琴桜は本場所の土俵でも、相手を吹っ飛ばすダメ押しを見せました。
                しかしこれは大相撲では励行すべきことで、ダメを押さなかったことで
                ポカ負けした例は多々あります。これは恥ずべきことだとされています。

                琴桜は相手もろとも土俵下、という場面がよく見られました。これは相手が
                力を抜いていない、つまりまだ土俵を割っていなかった証拠です。

                昨今ダメ押しが悪者扱いされていますが、これは勝負がついたと確信した後
                ダメを押す行為が、時折り見受けられるからです。(朝青龍のことですが)

                勝負がつけば力士は自然と力を抜くもので、そこを突き飛ばすのは危険な
                行為であり、励行するどころの話ではありません。

                妙なダメ押しが安易に批判の対象にされていると、琴桜まで否定されている
                ような感じがして、納得出来ない心持ちです。

                確かに長谷川はケガをしましたが、これはあくまでもアクシデント。
                実際に "よそに行きよったもんね" は事実であっても、琴桜と長谷川が不仲
                だったという事実はまったくありません。

                今、手に取っている古い相撲誌にも、発表されたばかりの番付をニコニコ
                笑いながら、2人並んで眺めている昭和40年代前半の琴桜と長谷川の写真
                が載っています。当時ともに大関候補と呼ばれた、良きライバルでした。

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